呼び名は「最後クン。」
今日はとっても面白いものの見方をひとつ。
"面白いものの見方"とは
アクセス コンシャスネス
(アクセスバーズ)の世界では
よく使われます。
人はそれぞれのジャッジ、決めつけ、価値観、定義を持っていて
それ自体が人生を狭くしていることが往々にしてあります。
私の人生のテーマは
「ただ何者でもなく在ること」
私ってこうだよねーという
決めつけがなく生きたら
のびのびできて
どんな状況や相手も決めつけず
スッと横において同化せずいれて
お互いの世界をジャッジせず
楽に共存できる気がするから。
↑これも私の"面白いものの見方"のひとつなんだけどね
とはいえ、一番身近な存在には
ジャッジばかりしてしまい
つい反省をしたばかり。。
というのも、私のパートナー君の口癖が気になって仕方なく
先日も仕事のトラブルシューティングが
思うようにうまくいってないと
話してくれた時に
「~まぁ、最後にはなんとかなるし」と口にしたのです。
ギョギョっ(さかな君風)と驚く((゚□゚;))私。
そう、自宅が空き巣に入られそうになった時も
「~最後は守られてるから大丈夫」
子供が受験に落ちまくってる時も
「最後に受かるよ、俺もそうだったし」
根拠のない自信は私も推奨してるけど
「最後、さいご、サイゴ、最後?」
どんだけ「最後好き」やねん?
そう思うといてもたっても居られず
「ねー、言葉は現実になるの知ってるでしょ。
だから途中の過程が苦しくなるし
もっと早くうまくいったって良くない?
その最後思考やめなよ」
と、口を挟んで相手を変えたがる私。
パートナー君は頑として拒否(笑)
そりゃそうだ。
おそらく彼は今世も過去世でも
最後にご褒美をもらう世界の中で生きてきたし
そこには甘美なメリット山盛りだから。
理由はわかっていても
相手の同意無しに、リーディングやヒーリングは出来ない。
仕方ないからこれに名前でも付けてやり過ごすことに。
だから呼び名は「最後クン。」
口には出さないけど
パートナー君がなにか
最後思考を選択しているとき
「出たーっ、最後クン登場!」と
そのこと自体を認めてあげるだけでいいと
自分を変えてみました。
ついでにそんな時の私も
「出たーっ、コントロール彼女!」
として笑って許すことに。
あなたはどんな"面白いもの見方"を持って
自分や相手を見ていますか?
そして、それをこうでなきゃと
"正しさ"で武装していますか。
身近な人ほど自分を成長させてくれるのにね。
最後クン、学ばせてくれて
いつもありがとう。
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